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「和」の美・知恵
「和」の神髄を探る…3
道、それは「真理」へとつながっている…

精神や哲学の高みへ

2003年に公開された「ラストサムライ」は、日本人の武士道を正面から描いた作品ですが、欧米でも高い評価を受け、渡辺謙などの俳優が海外進出を果たすきっかけともなりました。
欧米で賛美される日本文化としての“武士道”は、礼節や仁義を重んじる倫理観がその主なものだと思います。今回の震災で、被災者の礼節をわきまえた行動が高く評価されたことにもつながるのかもしれませんね。
さて、武士道もそうなのですが、日本の武術や芸事の名称は、よく「道」がついています。たとえば、柔道、合気道、剣道、そして茶道、華道、書道などです。
なぜ「道」がついているのでしょうか。そして「道」とは何を表すのでしょうか。
たとえば柔道の場合、もともとは“柔術”の一派として講道館創始者・嘉納治五郎が名付けたものです(ちなみに合気道も“柔術”の一派とされています)。その理念には、技術だけではなく、「精力善用」「自他共栄」という精神的な理念を重視していました。ただ相手に勝てば良い、というのではなく、むしろ精神や体を鍛えることが大切だとされていたのです。
茶道にしても、その呼び方が出てくるのは江戸時代初期ですが、ただ、お茶を飲む作法だけではなく、主が客を迎える精神が大事にされ、茶室はもちろん、茶碗、掛け軸に到るまで、細部にまで及び心配りの総合芸術です。
「道(どう)」はテクニックではなく、精神や哲学にまで高めようとする、一筋の“道(みち)”なのです。

中国の「道」、仏教の「道」

実は中国にも、そしてインドで起こった仏教にも「道」はあります。
中国で「道(タオ)」といえば老子や孔子に代表される儒家や道家の思想によくそれが現れていますが、宇宙や自然の根本的原理、人が本来歩くべき道=真理のことです。
仏教で「道」といえば、“悟り”のことです。禅語に「平常心これ道」というのがありますが、これは“何事にもとらわれなず、煩わされない心が悟りである”というような意味です。もっとも仏教といっても禅の言葉ですから、中国の思想が大きく影響していることは間違いありません。
人が歩むべき道、いや、人だけではなく万物が歩むべき道。すなわち真理が中国の漢字で表現すれば「道」の一語になるということでしょうか。
日本は中国文化に大いに影響を受けていますから、この真理という意味の「道」に深い思い入れがあったに違いありません。

精神を鍛えることが「道」

ここでひとつ述べておきたい言葉があります。それは「残心」です。
武道では勝負が終わっても気を緩めずに身構えや心構えをしておく、それが「残心」です。以前、相撲の元横綱・朝青龍が取組後にガッツポーズをして非難されていましたが、それは、試合に勝ったからといって気を緩めて喜びのポーズをとるのは、「残心」という心得を忘れた行為だからです。
また茶道においても、客を迎える準備から始まって、最後客を見送り、茶室に戻ってその日の一期一会の出会いをかみしめるところまでが大切とされます。
もちろん、武道においては、最後の最後で思わぬ反撃を防ぐという実利的な面もありますが、心構えとしての「油断しない」というのは、ひとつの精神のあり方です。
傲慢になってはいけない、慢心してはいけない。これは武道や芸道がフィジカルなテクニックと磨くこと以上に、精神修行が大切であることを説いています。
「残心」の修養は、まさしく「道」です。
「道」となることによって、武術や芸事は単なる技術だけではなく、心も磨かなくてはならない。心身一如、その両面があって、初めて「道」を極めることができ、真理に近づくことができる。そういうことだと思います。
勝ち負けだけでない、利益があればそれでいいのではない、心のあり方そのものが「道」であり、これは極めて東洋的でありながら、欧米の方々にも共感される所以なのかもしれません。


(mori)


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